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シェフ紹介
シェフ・パティシエ
池田 一紀
Kazunori Ikeda
Message
街路樹が立ち並ぶパリのような街。
カズノリイケダは杜の都・仙台で生まれました。
エコール辻東京から、青山ルコントへ。
基本を学んだイケダが次の舞台に選んだのが、食の都・パリ。
街を歩けば香ばしいバターの香りがただよう。
パリの風はとびっきり甘く爽やかなものでした。
フランス修行の幕開けはパリ最古のパティスリー。
仕事は7時間そして週休2日。
信じられないくらい早く終わる楽しい毎日でした。
現在のフランスは労働基準のとても厳しい国。
他店には半製品の素材や長期冷凍に頼り、効率を最優先にしているお店も沢山ありました。
そんな生活も3ヶ月もすると不安に変わってきました。
東京時代は1日14時間以上働いていたのに、フランスではきっちり7時間。
修行に来たはずだ。東京のパティシエはもっともっと働いていると考えると、いてもたってもいられなくなり始めました。
本当にこれで良かったのかと自問自答を続ける日々。
整ったパリの労働環境は逆に葛藤の原因になったのです。
当初は3年くらいで帰国しようとしていたフランス修行。
しかし、あるパティシエとの出会いにより刺激的な修行生活に変化したのです。
彼が指揮をとる工房は、とにかくおいしさ第一主義。
納得いくモノを作るまでは夜中になろうがお構いなし。
朝から深夜までお菓子作りに没頭する理想のラボラトワールでした。
面積でいったらとても小さな都市 パリ。
しかしこの街には沢山の分野で天才と評される人間がいっぱいでした。
料理、菓子関係だけでもアラン=デュカス、ジョエル=ロブション、ピエール=エルメ、パトリック=ロジェ、そしてわが師、サダハル アオキ・・・
彼らがいる同時代に生まれた事を幸運に思いつつ、いつしか彼らと同じ土俵でパティスリーを開きたいという欲求が芽生え始めたのです。
師の店を退職した後、パリでの開業を目指し準備に翻弄する毎日。
資金集め、物件探し、ビザの申請等、外国人である自分にはそれは大変な事ばかりでした。
異国での出店の難しさに憔悴し、改めてパリの第一線で活躍する師の偉大さを思い知らされるのでした。
そんな時に故郷にあの大震災が起こりました。
人々が困っている状況を目の当たりにし、考えが変わったのです。
「故郷で僕のお菓子を食べてもらおう、パリはその次だ。」と・・・
2011年12月
「kazunori ikeda individuel」
仙台 南町通にOPEN
「地方都市では本格的なフランス菓子は受け入れられない、売れない。」という洋菓子業界のジンクスを打ち破るべくパリで表現したかった事をそのままに表現。
2012年、2店舗目となる「定禅寺通店」をオープン。
上質な素材、刺激的なフレーバー、溢れるパッション。
パリの最先端をベースにしたイケダ流のフランス菓子。
お洒落な女性はもちろん、スーツを着た男性も気軽に焼き菓子やエクレールをほおばる風景。
パリ修業時代から想い描いていた理想の景色が、少しずつ杜の都に根付きつつあるように感じます。
そして、次なるステップへ・・・
Profile
エコール辻東京卒業
日本初のフランス菓子店「青山ルコント」入社
24歳で渡仏。以後10年間パリで修業・パリ老舗の名店Stohrer、Boulangerie-Patisserie Walterで修業
生涯の師サダハルアオキとの出会い・patisserie Sadaharu AOKI paris にて8年間修業
2011.04 | 東日本大震災を機に帰国
2011.12 | 地元仙台に “kazunori ikeda individuel” オープン
賞暦
2003. | クープ・ド・フランス | ピエスアーティスティック | 入賞
2006. | アルパジョンコンクール | アントルメピエス | 2位入賞
2008. | アルパジョンコンクール | ショコラピエス | 優勝
2008. | アルパジョンコンクール | アントルメピエス | 4位入賞
2009. | アルパジョンコンクール | ショコラピエス | 2位入賞